箱根登山鉄道japanswitzerlandレーティッシュ鉄道姉妹鉄道提携35周年

1888年:日本とスイスを代表する絶景鉄道の歴史がはじまる
1888年。アルプスの絶景を走る赤い列車で知られる『レーティッシュ鉄道』の前身にあたる『ランドクアルト=ダヴォス狭軌鉄道株式会社』が誕生。翌年すぐにクール=トゥージス間の敷設計画が決定し、区間名をつけた最初の会社名が適当でなくなり、1894年に社名を変更。グラウビュンデン州一帯の古い地名 "ラエティアRhaetia/レーティエンRatien" の鉄道と名付けられました。そして、その名の通り、1896年のランドクアルト=クール=トゥージス線開通を皮切りに、1903/1904年のアルブラ線、1912年にディゼンティス=イランツ線など次々と新路線を敷設。1942年にはクール=アローザ鉄道、ベリンツォーナ=メゾッコ鉄道(現廃線)、1944年にはベルニナ鉄道を吸収合併し、名実ともに、スイス最大の州であるグラウビュンデン州をくまなく結ぶスイス最大の私鉄会社となりました。
時を同じくして、後に姉妹鉄道となる『箱根登山鉄道株式会社』の前身『小田原馬車鉄道株式会社』が誕生。関所が置かれ、東西交通の難所といわれた箱根山。その拠点として東海道五十三次の中でも最大の宿場町として栄えた小田原が、1887年に国府津まで延長される東海道線のさらなる敷設計画からはずれることが発表され、箱根・小田原地方に私設鉄道を設立しようという気運が高まりました。そして、まだ人力車、乗合馬車が花形だった時代、新たな交通機関として馬車鉄道が開通したのです。
1903年〜1910年:伝説の鉄道アルブラ線&ベルニナ線がアルプスに開通
1896年に開通したクール=トゥージス間のさらに先へと路線をのばすことになり、アルブラ線の工事が1898年に着工。1000人以上が従事した工事は容易なものではありませんでした。しかし、作業員の前に次々と立ちはだかった大自然の厳しい難所を、数々の橋梁やトンネル、カーブをつくりながら、ひとつひとつ克服し、1903年チェレリーナまで、1904年サン・モリッツまで完成しました。高さ65mの印象的なランドヴァッサー橋、ベルギューンからのプレダまでの約400mの高度差を調整する5つのループトンネル、ライン川とドナウ川の分水嶺でもあるアルブラ峠を越える長さ5866 mのアルブラトンネルなど、まさに鉄道技術の傑作といわれています。

1906年。いよいよアルプスの懐深く走りイタリアへと抜けるベルニナ鉄道(現・レーティッシュ鉄道ベルニナ線)の工事がスタート。ポントレジーナから氷河観光で人気のモルテラッチまでの区間、ポスキアーヴォからティラーノまでの区間が1908年7月に開通。同年8月にチェレリーナ・シュターツからポントレジーナ、モルテラッチからベルニナ・スオートまで延長し、翌年サン・モリッツからの路線と最高地点オスピツィオ・ベルニナまでの区間が開通。1910年に最後の難所オスピツィオ・ベルニナからポスキアーヴォまでの区間が完成し、全線開通となりました。万年雪を冠った4000m級のベルニナ山群の名峰や氷河が輝くアルプスの世界から、葡萄畑や栗林に囲まれた素朴な谷を越えてイタリアまで。高低差1824mを結ぶ絶景の連続です。

1907年〜1919年:ベルニナ鉄道をモデルにした登山鉄道が箱根の山に誕生
1907年。海外漫遊から帰国した名士からスイスの登山鉄道の見聞が小田原電気鉄道に伝えられ、箱根の山に登山鉄道を通す計画が実現に向けて動き出しました。敷設工事の調査・研究は1910年に開始。当初は碓氷峠のアプト式ラック鉄道(歯軌条鉄道)を採用する計画で免許申請し、認可を得ましたが、敷設計画にはさらに研究の必要があるとして、1912年に主任技師長の半田貢氏が欧米へ派遣されました。

そして、スイスの登山鉄道を中心に視察してまわった結果、ベルニナ鉄道が最大70パーミルという勾配でありながら、歯車を使ったラック式ではなく通常のレールを使った鉄道(粘着式)という点に注目。同じ景勝地を走る鉄道として、美しい自然を損なうことなく、できるだけ景観をいかして敷設するため、山肌をぬうように曲線を多用しての設計方針を取り入れました。その後、変更計画を出願し、1913年に再認可をとり、1915年に着工。大小31カ所の橋梁や12カ所のトンネルなどの難工事を経て、ついに1919年、箱根の登山鉄道が開通したのです。
1979年:箱根登山鉄道とレーティッシュ鉄道が姉妹鉄道提携の締結
箱根に登山鉄道が開通した60周年。その鉄道のモデルとなった旧ベルニナ鉄道を受け継ぐレーティッシュ鉄道に、姉妹鉄道の関係を申し入れ、箱根湯本=強羅間の開通日にあたる6月1日に姉妹鉄道提携の宣言書を交わしました。
2008年:創業120周年。アルブラ線&ベルニナ線が世界遺産に認定
姉妹鉄道関係にある箱根登山鉄道とレーティッシュ鉄道がともに創業120周年をむかえた2008年。「グレッシャー・エクスプレス(氷河特急)」「ベルニナ・エクスプレス(ベルニナ特急)」という有名な絶景ルートの中でも、ハイライト区間といわれるレーティッシュ鉄道のアルブラ線とベルニナ線が、2008年7月、世界文化遺産に認定されました。アルプスの雄大な大自然を壊さずに切り開いた鉄道技術、その鉄道と共存しつつ現代に残された美しい山里の暮らし、最も感動的な鉄道区間として今も昔も多くの観光客に親しまれている点などが高く評価されての登録です。
2009年:箱根登山鉄道&レーティッシュ鉄道 姉妹提携30周年
姉妹提携30周年を記念して、箱根湯本駅が新装オープンした3月14日に、箱根湯本〜強羅間を結ぶ2000形車両の1 編成が『グレッシャー・エクスプレス(氷河特急)』新型パノラマ車両と同じ特別塗装車としてデビュー。あわせて、箱根登山線内を運行する小田急通勤車両1000形(新松田=箱根湯本駅間)のカラーリングも変更になりました。箱根登山鉄道の1000形、2000形と同じく、姉妹鉄道であるレーティッシュ鉄道のシンボルカラーとなっている赤い列車のデザインです。
2010年:ベルニナ線100周年&新型車両「アレグラ」運行開始
箱根登山鉄道のモデルとなったベルニナ線(旧・ベルニナ鉄道)が開通100周年を迎えたことを記念して、新型車両ABe 8/12「アレグラ」がデビューしました。全線で走ることができるので、"小さな赤い列車"として親しまれてきたレーティッシュ鉄道を代表する新時代のスタンダード車両としてベルニナ線以外でも随時導入されています。

2014年:レーティッシュ鉄道創立125周年&姉妹鉄道提携35周年
1888年に前身となる『ランドクアルト=ダヴォス狭軌鉄道』会社が設立され、翌年1889年にクロスタース=ダヴォス線が開通して営業を開始してから、125周年という節目の年を迎えたレーティッシュ鉄道。折しも日本・スイス国交樹立150周年で、相互に深い 交流を重ねてきた箱根登山鉄道との姉妹提携も35周年という記念すべき年になりました。11月に箱根登山鉄道では25年ぶりとなる新型車両が誕生。姉妹鉄道であるレーティッシュ鉄道の新型車両と同名の「アレグラ号」と名付けられました